シャヒード、100の命
―パレスチナで生きて死ぬこと―

100 SHAHEED- 100 LIVESMahmoud

Mahmoud1
ズボン   
マフムード・アル=エムワースィー

 24歳。両親と5人の兄弟、2人の姉妹、そして結婚して2日目の新妻が残された。
エムワース村の出身。村は1967年に破壊された。住民は1人残らず追放され、その土地にはカナダ・パークという名の公園が造られた。マフムードはよく自分の故郷、エムワース村の跡を訪ねたものだった。イスラエル政府がさまざまな障害物を設けたために、彼が故郷にたどり着くためには、長い距離を延々と歩かねばならなかった。
 マフムードは第一次インティファーダにも積極的に参加した。弾丸で負傷したのは、彼がまだ11歳のときだった。三度逮捕され、幼いにもかかわらず追徴金が課せられた。ある時、彼は負傷し、内通者が彼を病院に連れていった。内通者はイスラエルに密告してマフムードを逮捕させようとしたが、仲間のおかげで彼は辛くも病院を脱出し、自宅で治療を受けた。彼はこの話をよく妻に話して聞かせた。
 友人のイマード・アル=アナーティーが、デモで負傷して亡くなったという知らせに衝撃を受け、マフムードは、2000年10月3日、イマードの葬儀のデモ行進に加わった。妻も家族の誰も、彼がデモに参加したことを知らなかった。葬儀のデモは衝突に発展し、イマードと同じようにマフムードも殺された。
 マフムードは子どもを2人、欲しがっていた。男の子なら友人の名をとってユーセフ、女の子ならドゥムーウ(涙)と名付けるつもりだった。妻のマラームは、家族とともにシリアからパレスチナに戻ったばかりだった。マフムードは17歳の彼女と恋に落ち、結婚した。それは彼が亡くなるほんの2日前のことだった。夫の死後、新妻は、学校に戻った。ジャーナリストを志望している。マフムードとのあまりにも短かった新生活について彼女は言う。「それは夢のように過ぎ去ってしまい、私はこうしてまた、以前の生活に戻ってきました。傷ついた心を抱えて……」


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