シャヒード、100の命 ―パレスチナで生きて死ぬこと― | ||||
典型的なドイツ家屋を描いた絵 |
ハラルド・フィッシャー
68歳。ドイツ人。社会事業省に勤めるパレスチナ人の妻ノルマと、17歳になる息子ダニエル、そして、2人の娘、ラファエラ15歳、アサーニア10歳が残された。 ハラルドは1981年、ドイツの慈善団体の仕事でパレスチナに来た。ベイト・ジャラに居を構え、亡くなるまでカイロ・プラクター〔脊椎矯正医〕として働いた。友人や隣人は声をそろえてハラルドのことを社交的で気さくで、ユーモアのセンスが抜群だったと評する。いつも喜んで人に手を貸した。 2000年11月15日、ベイト・ジャラは激しい砲撃にさらされた。多くの住民が負傷したが、救急車はおろか人が近づくことさえできなかった。その時、ハラルドとその家族は、近所の家から「火事だ!」という叫びが上がるのを聞いた。ハラルドは消火器を抱えて救助に駆け出していった。彼が道に飛び出した瞬間だった。ハラルドはミサイルに爆撃された。即死だった。砲撃が激しく、誰ひとり近づくことができず、遺体は翌朝3時まで道に放置された。 クリスマスになるととりわけハラルドを思い出してならないとノルマは言う。心優しい父親は甘いお菓子を作るのが大好きで、いつもクリスマスの1カ月も前からあれこれと準備を始めていたのだった。 |