シャヒード、100の命 ―パレスチナで生きて死ぬこと― | ||||
スリング〔投石用のパチンコ〕 |
ファーレス・オウデ
15歳。ガザのアル=ゼイトゥーン地区の出身。 ファーレスは毎朝学校に行く前に、イスラエルの戦車の前に立ち、石を投げ付けた。そして学校から帰るときも、この儀式を繰り返した。戦車に向けて彼が投石している写真は、インティファーダを撮った写真の中で最も有名なものになった。家族はこの写真を見てはじめて、ファーレスが衝突現場へ行っていたことを知った。息子の身を案じて両親は、お前はまだ小さいのだから、とファーレスがデモに参加するのを禁じたが、彼は「僕はもう大人だよ」と反駁した。ファーレスは顔が分からないようにクーフィーエ〔格子模様のスカーフ〕で顔を隠して、しょっちゅう家を抜け出した。そして、いつも誰よりも戦車に近づいていくのがファーレスだった。殺される何日か前には、ファーレスを銃撃戦から守ろうとしたパレスチナ人警官が手を撃たれたこともあった。 2000年11月8日、早くに家を出たファーレスは、登校前にまた戦車に投石してくると友達に言った。イスラエル兵たちはファーレスを捕らえようと彼を追いかけ、ファーレスは逃げた。兵士たちは発砲し、弾丸がファーレスの首に当たった。即死だった。 息子の死後、母親は言う。「子どものうち、ファーレス以外はみな、障害を抱えています。あの子だけが障害がありませんでした。ファーレスが大きくなって、兄弟の面倒を見てくれるようにと、あの子には願いを託していたのです。だのに、私たちを残して逝ってしまいました。毎朝、悲しい気持ちで人生と向き合わなくてはなりません。もうすぐ誕生日だから友達を呼んでお祝いをして、とせがまれ、準備も始めていました……あとたったの13日だったのに……」 |